筋肉ブーメラン事件 |
一時期、私はスポーツジムに通っていた。 日頃の運動不足を解消するにはもってこいだったし、プールやジャグジーやサウナも設置されていたのでリラックスするにも効果的だった。 プールでウォーキングした後はミストサウナ、スチームサウナ、ジャグジーを次々と利用した。 体がほぐされ、疲れが見る見るうちに消えてゆく。 心地よい時間であった。 しかし、その心地よい時間がある一人の男性によってはかなくも消えてしまおうとは思ってもいなかった。 ある日、いつものようにウォーキングの後、スチームサウナに入った。 毛穴が開いて、よけいなものが出ていくようなさっぱりした感覚。 ああ、サウナってすばらしい。 暖かい部屋でただただぼーっと過ごす。 思考がとろけていくようだ。 サウナの中では日常の些末なことなど忘れ、ただ座るだけでいい。 考えただけでも幸せではないか。 しばらく座っていると、先に入っていた人は皆出ていってしまった。 一人座っていると、ある男性が入ってきた。 隆々たる筋肉。 厚い胸板に引き締まった腰。 ずいぶんトレーニングを積んでいるようである。 すばらしい筋肉に興味を持った私の視線は徐々に彼の足の方へ移っていったが、ある部分を見て内心、「ハゥアッ!!」と叫んでいた。 彼はムッチムチのブーメランタイプの海パンを身につけていた。 その海パンは股間のふくらみに加え、そのポールが右寄りであることが明白に分かる程度にバッチリなくらいムチムチのシロモノで、尻に至っては割れ目の終焉の辺りがやや見えるというきわどいものであった。 しかし、身につけるものは個人の勝手である。 ここはサウナ。 日常の些末なことは忘れるのだ。 それに、男のセミヌードを見て喜ぶ趣味はないはずだ。(多分) ポールポジションにだって興味はないはずだ。(多分) もちろん、女のセミヌードを見て喜ぶ趣味もないが。(多分) かといって、全裸を喜ぶ趣味もない。(多分) ところで、ビビアン・スーが写真集を出していたと思うが、買っておくべきだっただろうか。 かなりファンなのだ。 いや、考えるな、私よ。(自己暗示) 自己暗示をかけて冷静さを取り戻した私はいつも通りだらだらとサウナの時間を楽しみ始めようとした。 ところが、静寂を破る声が。 「ホフモワァッ! ハァゥテュワ!!」 彼はサウナ内に響き渡るかけ声とともにいきなりボディビルダーがよくする例のポーズを取り始めた。 数パターンのポーズをキメた後、ヒンズースクワットや片手の腕立て伏せまで1セットこなしている。 よほど筋トレが好きな人なのだろう。 彼の表情から察するに、脳内麻薬が出始めているんじゃないかと思うほど自己陶酔の域に入っている。 ああ、もうここを出るべきだろうか。 二人きりでいるのが気まずい。 しかし、彼が入ってすぐに出るというのも、なんだか気まずい。 それに、まだサウナに入ってすっきりした自分というのを満喫していない。 なにより、彼のかけ声は私の笑いのツボを直撃している。 いつ吹き出すか、カウントダウンが始まりそうだ。 笑いをこらえるのに腹がヒクヒクと引きつってきた。 もうリラックスどころではない。 だからといって、この楽しい時間を切り上げるわけにはいくまい。 サウナの気持ちよさもさることながら、目の前に私の笑い袋を満タンにしてくれそうな人物が腕立て伏せしているのだから。 しばらくして、私の笑い袋は満タンになった。 これで2週間は大丈夫だ。 笑い袋とは、私の心の中にあって、他人にはおもしろくも何ともないが個人的に笑えることをしまってある袋のことで、ここにしまってあるものを暇なときに密かに思い出してはニタニタ笑うという、周囲から見たら不気味きわまりない効果を醸し出すシロモノである。 たとえば、「サ○○○ん」のタ○ちゃんネタとか、ピ○○○の人○○○とか、某放送局のアナウンサーの○とか。 伏せ字ばかりだが、別に内容はエロいわけではない。 ※ 私は筋肉やボディビルに偏見を持っているわけでもないし(己の肉体を極限まで鍛えることは精神的にも肉体的にも鍛錬が必要でしょう。それができる人をすばらしいと思います)、ポーズを取る際にかけ声をかけてより気合いや力を入れるのであろうということは予測できるが、個人的に彼のかけ声は私のツボを押していた。 私は腹を引きつらせながら、サウナに座り続けた。 目の前には奇怪なかけ声を発しながらポージングする男。 しかし、いっさいの笑いは禁止である。 彼の陶酔の時間を妨げてはならない。 彼は真剣なのだから。 もう一種の拷問である。 15分後、彼は己の筋肉美に満足したのか、サウナを出ていった。 ……私は勝った。 吹き出さなかった。 腹筋が痛むが大きな問題ではない。 彼とともにトレーニングをしたと言っても過言ではない。 彼とサウナの時間が同じになることはもうないだろう。 アデュー、ケツの割れ目。 アデュー、ブーメランパンツ。 アデュー、かけ声。 しかし、翌日、私はまた二人きりのサウナで彼の筋肉美を目撃する羽目になり、ブーメランパンツを目撃する羽目になり、ポールポジションを理解する羽目になり、尻の割れ目の終焉を目撃する羽目になり、かけ声を聞く羽目になり、腹筋を引きつらせる羽目になった。 その翌日もその翌日も同じことが続いた。 このままでは笑い袋が裂けてしまう。 そうだ、時間帯を変えてみてはどうだろう。 頭がいいぞ、私よ。 さっそく実行に移してみた。 いつもとは全く違う時間帯にサウナに入った。 もう彼と会うこともあるまい。 しかし、他の客が出ていって一人になったとき、悪夢がよみがえった。 彼だ。 私はまた二人きりのサウナで彼の筋肉美を目撃する羽目になり、ブーメランパンツを目撃する羽目になり、ポールポジションを理解する羽目になり、尻の割れ目の終焉を目撃する羽目になり、かけ声を聞く羽目になり、腹筋を引きつらせる羽目になった。 その翌日もその翌日も同じことが続いた。 このままでは笑い袋がマジでヤバイ。 ちなみに、この時間帯変更は数度にわたったが、全く効果はなく、イヤと言うほど彼と顔を合わせる羽目になり、二人きりのサウナで彼の筋肉美を目撃する羽目になり、ブーメランパンツを目撃する羽目になり、ポールポジションを理解する羽目になり(以下同文)。 私はついにある考えに至った。 それは、彼が筋肉質であることやブーメランパンツをはいていて、しかもケツが見えかけていることやポージングすることはどうでもよく、そのかけ声こそがおもしろいのだと。 そして、彼だって、「この女、何で俺がサウナの時間帯変えても変えても変えても変えても来てるんだよ」と思っているであろうことに。 そして、このまま顔を合わせ続ければ、恋に落ちることは決してないがパブロフの犬のように顔を見るたびに笑ってしまいそうだ。 なにしろ、このサウナのおかげで腹筋痛が続いていた。 笑いを我慢して鍛えるにもほどがあるのだ。 私はボディビルダーではなく、単なる健康になりたいだけの素人なのだから。 笑いを我慢しすぎてストレスになりそうだ。 最後の手段。 伝家の宝刀を抜くときが来た。 私はスポーツジムを退会した。 かけ声云々、腹筋云々以前に習い事のしすぎで資金不足だったからだ。 今度こそ、彼とサウナの時間が同じになることはもうないだろう。 アデュー、ケツの割れ目。 アデュー、ブーメランパンツ。 アデュー、かけ声。 今となっては、彼のかけ声が懐かしく思い出される。 |
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