腹痛は死の香り事件
これは私が体験した事件。

その当時、私はいたいけで純情な高校生だった。
ゴールデンウィークの初日であったが、3年生は模試のために登校することになっていた。

私は朝から奇妙な腹痛を感じていた。
とにかく、普通の腹痛とは違うのだ。
その怪しい痛みは模試の最中にますますひどくなり、私は1時限の国語を腹を押さえて「
うぉう……っ!」、「むぐぅっ……!!」などと奇声を発し、脂汗をかきながら解答した。
しかも、一番前の席だ。

腹痛は解答する間にもひどくなっていき、初めは「
ズキズキ」程度の痛みだったのが「ズンドコズンドコ」に変わってきていた。
体内に住む小人さんが謝肉祭をしているかのような騒ぎだ(私の体内限定)。
限界を感じた私は試験監督の先生に「腹痛えから帰らせてくれ」と頼み込んだが、こんな時に限って日頃の行いの悪さがものを言ったのか、先生は帰宅許可を出してくれず、結局別室で受験することになった。

もう解答どころではない。
痛む腹をだましだまし、いや、もうだませる範囲ではなかったかもしれないが、何とか解答していた。

心配した友人Tちゃんが様子を見に来てくれたが、そのときの私の顔は既に血の気が失せ、白くなっていたらしい。
しかも、まともに声も出ない。
TちゃんとSちゃんを心配させまいと笑顔を作ったが、友人たちの返答は「うわっ! 怖っ!! 無理に笑うのやめてくれ!! 目がうつろじゃ〜!! さっさと家に帰って病院に行け〜!!!」だった。

さらに、夕方、帰宅する頃には、心配して迎えに来てくれたTちゃんとSちゃんが見た私は、机の上に倒れ伏してうつろな目をした上に、顔色が土気色になっていたらしい。

のたうち苦しみながらも体内の怪しい小人さんたちとともに帰宅した私。
もう何だか確実に体調がおかしく、帰宅するとそのまま倒れてしまった!!
母に「
腹が痛い!! 病院に連れて行ってくれ!!」と苦しい息の下から訴えたが、母は「単なる食べ過ぎじゃ。トイレ行って詰まってるモン出してしまいなさい」と至って冷静。
トイレに行って治るような痛みなら、とっくに治ってる!!

結局、1時間ほど床の上でのたうち回り(痛くて立ち上がれなかったから)、病院行きを渇望していると、ようやく母は重い腰を上げた。
病院へ着くと、さっそくレントゲン等の検査をしてもらった。結果は急性虫垂炎。盲腸だ。
即手術・即入院!!
ちょっと待ってくれ!
私、明日は遠足なんですけど!!
参加できないんですかぁ??
当然、参加できるはずもなく、連休中で病院の事務が滞っており、普通なら3日で退院できるはずが約1週間入院する羽目に!!

高校最後の思い出は盲腸……。

しかも、手術中、する事がなく暇だった(麻酔で痛みが消えていた)ので、お医者さんと看護婦さんのやりとりを聞いて暇つぶしをしていたが、聞かなかった方がよかったかも……。
なぜなら、お腹にメスを入れた途端、私の血圧が異常に急降下したため(それまで90〜120だったのに50〜60くらいに一気に下がった)、血圧を見ていた看護婦さんがパニックを起こして「
キャー!! この子、血圧が〜!!」と叫んだからだ。
手術室が一転してピリピリした雰囲気に!!
執刀していたお医者さんは明らかに新米の研修医!
もう涙目だ!
指導医のベテランの先生の指示で点滴の量を増やしてもらい、何とかパニックは免れたが、一時はどうなることかと思った。
ふう。
しかも、これが一段落した時点で私は失神してしまいました。

お腹を縫い合わせるときに気がついたのだが、研修医と指導医の話を聞いていると、
研修医「先生、ここはこうでいいんですかねえ」
指導医「うん、そう。切り取ったところは紐でくくっておきなさい」
どうも、私の盲腸切除痕は紐でくくられたらしい。
現代医学って、もっとすごいものかと思っていたが、こういう点では案外原始的なのだなあ……。
意外だ。

入院中、固体の食事は食べることができず、ひもじかったので、誰もいない待合室でこっそりケーキを食べていると、担当医がやって来たではないか!!
慌ててベンチの下に潜り込んで、ホコリまみれになりながらケーキを食べた。
すでに
飢えた獣のようになっていた私だった。
人間はひもじくなると人としての尊厳まで忘れるということを知った入院生活だった。

みんなも病気には気をつけろ!
右の下腹部が痛いのは盲腸だぞ(多分)!!
盲腸になるとしばらく痛くてパンツがはけず、
フンドシ越中ふんどし 刺子 白で過ごさなければならない!!
あ、でも、フンドシはなかなかよいものでした。

以上、盲腸体験記でした。


HOME 事件簿
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送